閉じる存在

2017.8.7|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 KJWORKS

 

〈窓の外は台風。こういう時「あったほうがいい」と思えるモノについて考えました。〉

 

 

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

 

 

台風5号、関西に上陸しましたね。写真は芦屋の私の事務所「木の空間」で、今日の窓の様子。一時はかなり雨が降りましたが、風もさほど強くなく、今は雨もおさまりました。今後も各地で大きな被害で出ないことを祈るばかりです。

 

 

 

今日は、そうした台風の時などに気になる、ある家のパーツをちょっと考察してみようと思います。そのパーツとは「雨戸」のこと。雨戸、あるいはシャッターといったモノは、果たして住宅の窓の外側に必要なものか?ということを。

 

 

 

最初に言ってしまうと、私の考えではそれは「一概には言えない」となります。いつも私がここに書くように、敷地によって、住まい手によって家のかたちが変わる以上、雨戸を必要とするかしないかも、全く個別の判断になりますから。

 

 

 

では、まず基本的なお話を。雨戸もしくはシャッターとは、何のための役に立つのでしょうか?おそらくこれには大きく2つのお答えを皆さんお持ちだと思います。ひとつは防犯、ひとつは今日のような台風、暴風雨への防災でしょうね。

 

 

 

他にも遮光や遮熱の意味でお使いの方もおられるかもしれませんが、「必要とする」レベルでは先の2つでしょう。では次に、皆さんは夜寝る時に雨戸を閉められますか?これも人によって分かれるでしょうし、理由も様々だと思われます。

 

 

 

少し話が飛びますが、昔の日本の家はその外観のほとんどが開口部でした。しかも「窓ガラス」は存在しておらず、夜には雨戸を建て込んで、ようやく「閉じる」ことが出来たのですね。雨戸というものは、そもそもはそういう存在だった。

 

 

 

それに比べれば今の住宅は「壁の一部に穴がある」程度の窓の量です。しかも今やペアガラスが主の時代ですから、往時の日本家屋から見ればずいぶん閉鎖的。なので、雨戸本来の「閉じる」役割はあまり求められなくなってきている。

 

 

 

そういう意味で、寝る時に雨戸を閉める方は減っていると思われます。しかし、時々やってくる暴風雨などに対して、「防災レベルまで閉じる」ことが出来ているか、そこについての考え方の違いが、雨戸を欲するか否かに表れるのでは。

 

 

 

ちなみに、私の自宅には雨戸は一枚もありません。12年間それで何も問題はありませんでしたが、しかし台風が直撃したりした時に絶対大丈夫かと言えば、それはわかりません。ガラスは「割れる」という可能性からは逃げられませんので。

 

 

 

地域によって「防災面で閉じる」を必要とされる頻度は違うし、それが主観的なものである以上、人によって「ここまで閉じないと心配」の度合いが違う。さらに言えば、住まい手が育ってきた暮らしの記憶もそこには影響しています。

 

 

 

ですから、この部分であまりつくり手の意見を押し付けては良くないと思うんです。「ないと何か気持ち悪い」と感じられる方が、雨戸やシャッターを設置しておくことで安心感をもって暮らせるのなら、それが一番ですもんね。

 

 

 

なお、もうひとつの「防犯」という要因についても、昔のご先祖の記憶がDNAに残っているのでは、と私は感じます。昔の雨戸は「閉じる」ことが防犯でもあったから。でも、この点では現代住宅は充分に「閉じて」いるのではないか。

 

 

 

雨戸やシャッターのレベルまで「閉じる」ことは、かえって防犯面で良くない場合すら今はありますね。寝る時に雨戸を閉める人が減れば減るほどそうで、日常的に閉じている雨戸というものが却って不自然になっていくからです。

 

 

 

今日は降る雨を見ながら、雨戸というものについて考えていました。そして「閉じる」をキーワードに考えれば上手く思考がまとまるということに気付いたというわけなのでした。読後のご感想などお聞かせいただければ幸いです。