生き抜く俳人
『一茶』 藤沢周平 著 文春文庫
「本を開いたかたちは、鳥のかたち。」
ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。
江戸の絵師の生涯を描いた小説を、歴史を学ぶためのサブテキストとする。何回か前の書評ブログでそのようなことを書きました。その視点でも、引き続き本を渉猟しています。
でも、よく考えればそれは、絵師に限った話ではない。そう思って探し、入手したのが本書です。俳諧師・小林一茶の生涯を描いた小説、それをまさか藤沢周平が出していたとは。
私は俳句にあまり詳しくはありませんが、芭蕉や蕪村と並んで、一茶の名くらいは知っています。そして、その数生涯に二万という膨大な句を遺したことも。中でもよく知られているのは、次の句でしょうか。
われと来て遊べや親のない雀
やせ蛙まけるな一茶これにあり
名月をとってくれろと泣く子かな
このように、非常に平易な言葉を使って、素朴で味わい深い句、そして、生きものへの愛情が込められた句。一茶の俳句についての評価といえば、大方そんなところでしょうし、著者も元々はそう思っていたようです。
ところが、実はこの一茶という人物は、その作風から受けるイメージとは大きく違った生涯を送ったようです。以下は著者の別のエッセイからの引用、かなり衝撃的ですね。
「一茶は義弟との遺産争いにしのぎをけずり、悪どいと思われるような手段まで使って、ついに財産をきっちり半分とりあげた人物だった。また五十を過ぎてもらった若妻と、荒淫とも言える夜夜を過ごす老人であり、句の中に悪態と自嘲を交互に吐き出さずにいられない、拗ね者の俳人だった。」
そして著者もまた、その一茶の境涯を知って驚き、考え、そしてそこに「書くべきもの」を感じて、この物語を綴ることになったのでしょう。本書の解説にも、そのあたりの事情が描かれていました。
また、俳諧師として名が売れたあとも、一茶の実際の暮らしぶりは、漂白と赤貧の日々といえるものだったようです。そして食いつなぐことに汲々とする中、彼がその生きるための手段とできるものは、俳句しかなかった。
そして著者は、その「根なし草」の悲哀を自分もたっぷり味わった、と書いています。そうした共鳴が本書により一層の力を与えているし、著者が書きたかったのは、俗物でありながら非凡な詩人である、生き抜く俳諧師、一茶の姿だったのでしょう。
本書を読んで、冒頭に書いたことをさらに痛感しました。俳人にしても絵師にしても、その句や絵という業績だけを知っていても、それは本当に上っ面だけの理解にしかならない、と。
一人の人間としての生き様を少しでも知り、そういう生涯を送った人物がその業績を残した意味を、少しでも想像してみる。そういうところから、つくられた作品たちへの理解はさらに深まるのでしょうね。
少なくとも一茶の俳句は、本書を読む前と読んだ後では、私には違うものに見えてきました。こういう書物の効用とは、まさにそういうところにある。俳句がお好きな方には、眼から鱗を落とす意味で特にお薦めの一冊です。