芸術を生きる

2014.12.8|カテゴリー「読書つれづれ」|投稿者 山口敏広

2014-12-08 10.49.57

『芸術原論』   赤瀬川原平 著   岩波書店同時代ライブラリー

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

赤瀬川さん、亡くなってしまいましたね。そのご活動を興味深く見ていたので、さすがに少しショックでした。それで、手持ちの著書を読み返してみる気になった次第。私の手元には三冊の赤瀬川本があるんです。

 

折しも今、千葉美術館で「赤瀬川原平の芸術原論展」という企画展が開催中だそうです。その開幕直前にに亡くなられたので、はからずも回顧展というかたちになってしまいましたが。

 

赤瀬川原平を一言で言い表すのはとても難しい。前衛美術家に始まり、イラストレーターでもあり、芥川賞作家でもある。近いところでは「老人力」なんて言葉を作ったエッセイストでもあります。

 

そういえば、氏の自邸は「ニラハウス」という一風変わった建物なのでした。そしてこの家を含めてその前後には「縄文建築団」として、建設作業にも携わっておられたようですね。

 

私は、氏の発見した「超芸術トマソン」や「路上観察学」にとても惹かれます。建築史学の藤森照信氏などと共に、街の中に偶発する「超芸術」を探す試みは、とても刺激的。例えば本書の表紙になっているモノはこう名付けられています。「ぎりぎりまで切り詰められた椅子」。

 

この「視点のずらし」とでも言うべき行為によってその価値が見出されていく、「作者不在」の芸術は、芸術作品であろうという意図が皆無であるがゆえに、その偶然という価値が純粋に人を打つのですね。(トマソンをご存じない方は、ぜひ検索してみてください)

 

本書に載っている氏の言葉で、私が自分のものの視方の上で大きく影響を受けたものがあります。ちょっと長いですが、引用します。こういう言葉です。

 

「印象派の絵の初々しさというのは、人類史上無上のものだ。何かのための絵ではなく、絵そのものを得た人々の喜びがあふれかえっている。ここで人々ははじめて、絵筆に絵具をつけてキャンバスに塗るという、そのことだけの喜びを知ったのである。現代芸術の原点である。」

 

ごく普通に絵画史を身に付けるだけでは、この捉え方はできないでしょう。私もそんな風に印象派の絵を観たことがなかったので、とても新鮮に感じました。

 

氏の言によれば、印象派の絵に描いてある「もの」に意味は無く、描くことそのものが作品なのだ、ということですね。「何かを描く」ことから脱した絵画のベクトルが現代芸術を産んだ、と。

 

本書は、氏のその多岐にわたる活動をその時点で自伝的に俯瞰し、それを通して「芸術」を語る一冊だと言えるでしょう。その意味で「芸術原論」なのですね。そしてそこには他にも色々と含蓄に富む言葉が、読む者を待っているのです。

 

それらは、赤瀬川原平にしか語れない、独特のものの見方であり、そして色々な活動を通して、「芸術とはなにか」ということを考え、観察し、見つけ、体現してきた者だからこその言葉です。

 

久しぶりに読んで、やはりとても刺激的な時間でした。さあ、次はトマソンの次に到達した地点、『千利休 無言の前衛』にとりかかることにしましょう。氏のご冥福を祈りつつ。