うつわの本来

2015.7.29|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

2015-07-29 15.38.15

〈今日は午後からお休みし、うつわのもつ美のエネルギーを充填してきました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

先日、PC画面にかじりつき過ぎという無理がたたって筋肉を痛めてしまいましたので、今日は午後からお休みにさせていただきました。というか、友人と京都で会うことになっていたんです。お目当ては京都国立近代美術館「魯山人の美 和食の天才」展です。

 

私の精神をリフレッシュしてくれるのは、何と言っても「美しいもの」の力です。中でもうつわは「用の美」の最も洗練されたものだと思っていて、素晴らしいものを見ると、元気がもらえる気がします。

 

先月は東京のサントリー美術館で、尾形乾山のうつわからエネルギーをもらいました。今日は大正・昭和初期の巨人、魯山人のうつわから同様の効果を期待して。

 

今回は「和食の天才」展ということで、「器は料理の着物」という言葉を残した魯山人の業績を、和食のうつわという視点から照射するという試みであるように思いました。

 

北大路魯山人は、最初は書家でした。その後古美術商となり、そこで顧客サービスとして始めた「商品の古陶磁に料理を盛ってふるまう」ことが、彼の一生の方向を決めていきます。

 

「美食倶楽部」から「星岡茶寮」へと、料理と器を共に包含した魯山人の「美食」の世界はどんどん突き詰められていく。その中で新たな試みとして実践されたことは、現在では和食の世界の定型となっているものも多いのだとか。

 

その中でも今回もっとも私を感動させたのは、大ぶりな「俎板盤」でした。例えばこんなものです。

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この企画展のHPより。「料理を美しく見せる色合いや文様、余白までが配慮され、まさに『器は料理の着物』という魯山人の言葉を体現していると言えるでしょう。」まさに、大きなこの皿のどこに、どれだけ、どんな料理を盛るか、そのイメージが膨らむようなうつわなんです。

 

他の展示にも、その多様さに驚かされます。呉須、染付、金襴手、織部、志野、黄瀬戸、備前、信楽、鉄絵、銀彩、塗り物に至るまで、とにかく色んな手法の焼きものがずらりと並んでいる。ここまでの種類をつくった作家は、そうはいないでしょう。

 

でも、そこに「器は料理の着物」という言葉が添えられると、思考の転換が起こり、それはごく自然なことに思えてきます。魯山人は、色んな料理でお客をおもてなしするために、色んな着物が必要だった。それだけのことなんですね。

 

展示の帰り道、友人とこんなことを話しました。「魯山人は、ガラスケースの中にうつわがあるのは、嬉しくないやろね」と。うつわは鑑賞品ではなく、料理のうつわなのだから。料理とともに「美」を形成するのが、うつわなのだから。

 

魯山人が追い求めたのは、美味極まる料理、それと一体となって楽しめるうつわ、そして食べる場所を含めた、「食の空間」全体に美を整え、慈しむ、ということだったのだろうと思います。

 

彼ほどの求道的な追求は無理としても、自分の出来る範囲でそれを提供すること、それをこそ「おもてなし」と呼ぶのだろう。今日はそんなことを自分の糧に出来た、よき休日の午後でした。