しろさと時間

2015.7.24|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

新旧姫路城

〈お化粧直しを終えた白鷺城。また永い時を生きて、味わいを増すのでしょう。〉※画像は姫路市のHPより

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

今日は、日本建築を美しく維持する、ということについて書きます。関西にある国宝の木造建築、姫路城について知った話があり、ちょっと気になりましたので。

 

「白鷺城」の別名をもつ姫路城は、この春から、6年間に及ぶ平成の修理を終え、一般公開が再開されています。私はまだ行けていませんが、先日久しぶりにその外観を見る機会があり、美しい姿を惚れぼれと眺めたものでした。

 

今回の大修理は、「見せる補修」ということで、工事中の天守閣を眺められる見学施設を設けたことも話題になりましたね。修理内容は屋根工事、左官工事、木工事、耐震補強ということで、屋根と外壁が一新され、瓦と漆喰が全て再施工されています。

 

私が雑誌で見たのは、冒頭の写真の新しい姫路城の姿を見て、「白過ぎるのではないか」という意見が多く出ている、という話でした。「白すぎ城だ」とか。確かにこうして新旧を比べてみると、その見え方の違いは歴然です。

 

特に、修理後の姿では屋根がとても白いですね。これは、瓦の間に「目地漆喰」といって、継ぎ目の上に漆喰を厚く盛っているからなんです。その漆喰が白い間は、屋根が瓦の色よりもずっと白く見えるというわけ。

 

でも、家づくりを志事にしている私には常識的なことなのですが、屋根というのは雨を防ぐためにある。ということは最も雨に濡れる場所です。そこにあって雨を防いでいる目地漆喰には徐々に汚れが付き、壁よりも屋根の方が、真っ先に色をくすませてきます。

 

写真の補修前の姿は、前回の「昭和の大修理」から50年を経て、屋根の漆喰がくすみきった色合い、ということなんですね。ですから今の純白の姿も、ほんの一時。5年もすれば、すっかり落ち着いた色合いになっていることでしょう。

 

この「白過ぎる」の話を聞いて私が思ったのは、そういう「建物の姿を長い目で見る」という視点を失いつつある人が多くなっているのではないか、ということです。それはとても心配なこと。

 

建物というものの第一義は、永く人の使用に供される、ということだと思います。その永い時間の中で、どの時点の姿が正しい姿だ、ということは言えません。自然に馴染みながら、建物は少しずつ変化していくからです。

 

社寺仏閣でも出来た時はずいぶんと華やかな色をしてますが、それもまたすぐに古美た雰囲気を漂わせるようになる。どちらが正しい、は関係なく、補修の時は、またその後永くもつようにと手が入れられる。

 

建物とは本来そういうものだし、それが最もしやすいのが木造建築だと私は思っています。でも、新しい姫路城が白過ぎるという意見には、非常に刹那的なものの見方、思考がうかがわれてなりません。

 

一人の人が生きている時間を超えて、永く生き続ける建物。国宝・姫路城もまさにその偉大な建物のひとつです。その永く生き続けることに重きをおいた、それぞれの時代の修理の歴史にも少し目を向けて、あの優美な白い姿を楽しんでいただきたい。そう切に願うものです。