ものづくりの理(ことわり)
〈自宅で手打ちパスタ。我が子と一緒につくることもまた、教育のひとつです。〉
ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。
今日はまた、週に一度の晩ご飯担当の日。ここのところ金曜日が多いのです。先週ショートパスタをつくったばかりなんですが、今週もまたうちの末っ子(六年生女子)のリクエストで、パスタと相成りました。
でも今日は、いつもよりも「一緒につくる」ことを楽しんだんです。冒頭の写真のように、パスタマシンをつかって手打ちパスタづくりを共同でやったから。というか、それがリクエストだった、というわけ。
強力粉とセモリナ粉、卵、水、オリーブオイルを混ぜて、よく捏ねます。そしてしばらく置いておくのですが、この工程は、全く手伝ってくれません。要するに、パスタマシンで延ばす、切るが楽しいのですね(笑)。
でも、そうやって「一緒にやろう」と提案してくれる作業があるというのはいいこと。それが「ものづくり」を楽しむ入口になってくれればと思って、リクエストがあったらなるべく聞くようにしています。
計って、混ぜて、捏ねて、置いて、延ばして、切って。やはり結構な手間がかかります。でも、やはり乾麺を茹でて食べるのとは、全く違う。ほんとうに美味しいし、自分がつくったという満足感が、さらに味わいを深めてくれるから。
私は「ものづくり」を生業にする人間ですが、建築というのは自分自身でつくることはほとんどありません。職人さん方の手がそれをつくっていきます。対して料理は、自分でつくるもの。
しかし、そのつくられ方は違っても、ものづくりにはひとつの大きな理(ことわり)があると私は思っています。それは「かけた手間暇は、使う人に響く」ということです。
乾麺のパスタを茹でてアルデンテで食べるのもいい。でも、自分で麺からつくって食べるパスタは、多少不格好でも最高の味ですよね。そこに掛けた手間暇が、食べる人の心に響くから。
その理を、料理という日々の作業の中で、しかも乾麺と手打ち麺という比較しやすいふたつで、感じてもらえる。これはかなり上手い教育としての手だなあ、そう思うのですね。
果たして、今日は彼女の好きなクリームソースもつくったので、自分も協力した生パスタのフェトチーネの味を堪能してくれたようでした。こんな感じです。
真心を込めてつくってもらったモノは、つくった人への感謝の気持ちが愛着に変わる。自分で一所懸命につくったモノは、自分自身の愛着がいやでも深くなる。
そんな「ものづくりの理」をほんの少しでも、晩ご飯づくりを手伝ってもらう時間の中で、子どもたちに伝えていけたら。そんなことを、パスタを頬張る顔を見ながらまた想うのです。