エンジュの大明神

2013.8.16|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

今日は、先日の「龍造寺の長屋」探訪と合わせておこなった「高低差散策」のことを少し書いてみましょう。最近「地形」を愉しむ団体である「大阪高低差学会」に入会したこともあり、ちょっと手始めに上町台地の高低差を少し歩いてみた、というわけなんです。

 

私は参加できなかったのですが、この春におこなわれた大阪高低差学会の第1回フィールドワークでは、先にご紹介した龍造寺の長屋もそのルートに入っていたんです。出発は松屋町筋と長堀通の交差点から。私も今回、長屋に行くのにそこからスタートして、途中までですがフィールドワークのルートをなぞってみたという次第。

 

東向きに出発してすぐ、上町台地の坂道を石の階段で上がる場所が現れます。そこを上がりきったところにあるのが、龍造寺の長屋と並ぶ今回のチェックポイント、「榎木大明神」です。

 

冒頭の写真がそれですが、いわゆる神社の大きな建物があるわけではありません。小さな祠(ほこら)という感じの神社なんです。でも、ここは非常に由緒ある場所なのだそうで、うしろに聳え立っている大樹が、その歴史を物語っていますね。

 

この大樹は、榎木大明神ではありますが、エノキではありません。槐(エンジュ)の木で、樹齢はおよそ650年だそうです。私が訪れた時は、白い小さな花が大量に散って、道が白くなっていましたよ。

 

祠の横に「榎木大明神の由来」という説明書きがあったので、その歴史と由緒を知ることが出来ました。祀られている神様は、この辺りの土地神である「白蛇大明神」。地元の方々からは、「エノキさん」あるいは「巳さん(みいさん)」と呼ばれ、古くから親しまれているとのこと。

 

確かに、冒頭の写真にも写っていますが、私が説明書きを読んだり、写真を撮ったりしている間にも、何人もの人たちがこの祠に手を合わせていかれるんです。それはこの谷町界隈の方々の生活の一部になっているような、ごく自然な風景でした。なんかいいなあ、と思いますね。

 

以下、「由来」より少し抜粋です。

〈前略〉豊臣の時代には当地も大阪城域で、この辺りは紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋だった。だから大きくそびえるこの樹は、何よりの目印になったし、また地元の人達は土地神として「白蛇大明神」の祠を建てて代々この樹をお守りしてきた。

昭和二十年、第二次世界大戦の大空襲の折には、襲ってきた猛火がこの樹の辺りでピタリと止まり、東側一帯が危うく類焼を免れた。これも霊験のひとつとして語り伝えられており、毎年春のお彼岸前後には、地元「箔美会」の人達により、榎木大明神の大祭が挙行されている。〈後略〉

 

なるほど、このような霊験あらたかな土地の守り神様だったんですね。そしてその象徴である槐の巨木。龍造寺の長屋と同じく、大阪市内の高層ビル街の中にポツンとそこだけ、営々と受け継がれてきた「歴史」というものがオーラを放っているようです。

 

高低差学会という団体は、上町台地に限らず、大阪の町の高低差を巡りながら、その場所の歴史的変遷をその景色から見てとり、あるいは推測してまわる、という活動をしていくようですし、私もそれを期待しています。

 

梅田のような比較的新しい都市よりも、船場、谷町、天王寺などなど、歴史都市大阪としての中心地に、今も残る遺構たち。この榎木大明神も、地元の人々と共に歴史を刻んできた、大きな価値ある小さな祠、なのですね。

 

なお、その象徴たる槐の巨木の幹に、ちょっと不自然なウロのような跡があるのが写真から見て取れるでしょうか。昭和の終わりごろ、この槐は一度枯死寸前になったのだそうです。その時にこの大樹の延命治療をしたのが、大阪出身の樹医、山野忠彦氏、だとか。

 

山野忠彦氏のことは全く知らなかったので少し調べてみると、日本で初めて「樹医」を名乗った人物なのだそうですね。全国のご神木や大樹の多くを治療してきた、その世界の偉人ということで、樹が好きな私としては、そちらの方も俄然興味が湧いてきました。

 

今に残る「地形」や「遺構」に触れることで、そこから派生して色んなことがわかり、そしてまた知りたいこと、知って楽しいことが増える。これから「歴史」という大海へ「高低差」という入口から漕ぎ出すことは、非常に素敵な「知の娯楽」に違いありません!