噺のなかの噺

2014.5.27|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

s-2014-05-27 15.18.07

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

今日はくらしの杜での落語会「彩都・木楽亭」がおこなわれました。午前11と午後2時の2回公演、出演は桂優々、桂そうば、そしてトリが桂吉弥、のお三方。私も午後2時の部に参加して、大笑いしていました。

 

私は吉弥さんの話しぶり、間合い、場のつかみといった芸が好きなのですが、今日は初めて、古典ではない、吉弥さんによる創作落語を聴くことができました。題して「ホース演芸場」。これが今まで聴いたことのない良さで、大いに唸ってきたのです。

 

この噺、名古屋に今でもある「大須演芸場」のもじりで、尼崎市園田の競馬場の横にあるという設定の「ホース演芸場」が舞台。時は昭和40年前後という設定でした。そこで修行してこい、と師匠から言われた若手落語家、桂小骨くんが主人公です。

 

昭和40年と言えば、東京オリンピックの年。私が生まれる2年前です。その頃の演芸場は、「音楽ショウ」の全盛期だったそうで、私も子供の頃に聞いた名前がたくさん出てきます。「宮川左近ショウ」、「フラワーショウ」、「暁伸・ミスハワイ」、そして「かしまし娘」。

 

桂吉弥さんはわたしよりも4歳年下ですから、昭和46年生まれ。でも、こういった「演芸場」の古き良き雰囲気が大好きだと、噺のマクラで言っておられました。それぞれの音楽ショウのテーマソングも噺の中で歌ってくれるのですが、これが何とも懐かしい。

 

そして何も知らない小骨くんが、演芸場の頭取さんの教えと、同僚の浪曲師の卵、ヨッちゃんの協力によって成長していく、というストーリーなのですが、そもそも創作落語のネタにあえて「落語家」を使うというのが、私には驚きでした。

 

また、この噺は完全なフィクションではなく、かなり実話が混じっているようなのです。小骨くんいわく、ヨッちゃんに愛を告白したけど振られてしまって、弟弟子の桂小米と結婚した、と。そして小米は出世して、桂枝雀になった、というのです。

 

あとで調べてみたら、確かに枝雀師匠の奥さんは元浪曲師で、女浪曲トリオ「ジョウサンズ」にも加わっていた「かつら枝代(しよ)」さん。そしてこの噺は、枝代さんへの取材から生まれたものだったんですね。

 

枝代さんがよく知っていた「新世界新花月」の楽屋の様子、そのエピソードと、吉弥さんのそういう古き良き演芸場の好みとが相まって誕生したというこの「ホース演芸場」、笑いもあり、私より上の世代の方には懐かしさも満載、そしてどこかしら哀愁も漂う佳作だと感じました。

 

私が一番驚いたのは、最後に小骨くんが大ベテランになって出てきたこと。高座に上がっている吉弥さんが、高座に上がって噺をしている桂小骨として喋っているのです。なんとも言えない不思議な感じでした。まさに「噺のなかの噺」です。

 

今まで色んな噺家さんの創作落語を聴きましたが、こういう設定、こういう内容の噺ははじめて。吉弥さんの脚本家としての才を目の当たりにしたような気分でしたね。

 

でも、思えば噺家というのは、古典と呼ばれる噺の中に、自分独自の間合いや人物表現を織り込んでいくもの。だからこそ表現者として自分だけの世界が出来るのでしょう。役者が演出を手がけるようになるように、噺家が噺をつくることも、己の話芸を磨くひとつの方法なのかもしれません。

 

今まで創作落語というものを古典に比べて軽く見ていた自分を反省し、そしてさらに吉弥さんの芸が好ましく思えた、そんな今日の「彩都・木楽亭」だったのでした。