土下座考

2013.10.12|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

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ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

最近、よく「土下座」という言葉を聞いたり、そんなシーンの映像を見たりしませんか。 先般とても高視聴率であったというドラマにもそれが頻出したと聞きましたし、 なにかそれをテーマにした映画まであるとか。

 

私、この「土下座の頻出」にとても違和感を感じていました。そうしたら、同様の記事をいくつか読む機会があったので、 今日はちょっとそんなことを書いてみます。

 

現代においてこの土下座というものは、「最大限の謝罪」という意味を与えられています。 しかも昨今それは、「強要する」「(当然のものとして)期待する」というかたち、させる側の論理 で取り上げられることが多いように思いませんか。

 

そしてそれは今や、する側の「屈辱」という別の意味をも帯びてきている。私はそんなことを感じるんです。

 

しかし本来土下座とは、謝罪ではなく、礼法のひとつであったはずです。相手に対する礼儀を表すためにするもので、 許してもらうためにするものではなかった。

 

その言い回し自体も、本来は「平伏(へいふく)」という言葉がその意味を表し、「土下座」という言葉は 江戸以前は「土の上に座る」という意味であったそうです。「土の上で平伏する」という意味が土下座という言葉に新たに付加された、というわけですね。

 

それから、「上座・下座」という言い方があるように、日本人にとって「座」の位置がどこかは、非常に大きな 意味をもっています。「土下座」とは本来、土に座ること。それは、古くは身分の低い者のすることであり、 その位置に自分をおいて平伏する、ということが、「あなたの言うことに従います」となり、謝罪の意味を表すようになったのかもしれません。

 

現代社会は、基本的に江戸以前のような身分格差というものはありませんが、それでも社会の中での上下関係、 強弱の関係というものは存在しています。ストレス社会と呼ばれるものの原因の大半は、それではないでしょうか。

 

そんな中で、その歪んだ上下関係の確認のために、あるいはその歪みを一時的に逆転させるために、「謝罪を強要する」 「土下座を強要する」というような行為が、一種のストレス解消のためにおこなわれている。そんな気がしてなりません。

 

平伏するにしても、謝罪するにしても、本来はする人の心を表し、その心が生む尊い行為であったはず。「倍返し」して スッとするために使われていたのでは、ますますその意味は薄れ、単なるポーズや、ともすればギャグになってしまいかねない。 それって、かなり怖いことではないでしょうか。

 

自分自身の素直な心を表すための動作が、礼法だと思います。  土下座もまた、本来そのひとつでしょう。心のこもらないただのポーズに、人の心が動くわけはありませんね。それは「意味の消費」「尊さの浪費」に他なりません。

 

なんだかあたり前の話になってしまいますが、要は「心がこもっていなければ、する意味は無い」ということですよね。「形骸化」というパサパサの行為ではなく、心のこもった潤いある行動こそ、人の心を撃つのですから。