地と図をこわす

2015.6.24|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

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〈お江戸での志事に前日入り。この企画展示を狙ってたんです。〉

 

ご愛読ありがとうございます。KJWORKS 木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

今日の午後から、東京に来ています。明日の午前中に、兵庫でリフォームを計画中で現在東京在住のお客さまと打合せ、午後は木造住宅の勉強会で。

 

で、今日の午後をお休みにして前日入りしたのは、冒頭の写真の企画展示を見るためでした。サントリー美術館で開催中の、「乾山、見参!」展です。

 

私の今までの経験から言って、サントリー美術館の企画展示は、「タイトルは今ひとつだが内容は素晴らしい」のです(笑)。尾形光琳の弟、尾形乾山についてはあまりよくわかっていないので、期待して臨みました。

 

尾形光琳、乾山兄弟は、17世紀後半から18世紀にかけて生きた人物。器という視点でいうと、古田織部や小堀遠州、本阿弥光悦などの次の時代の美をつくった人、と言えるでしょう。

 

この美は、いま尾形光琳の一字をとって「琳派」と呼ばれています。今回はその琳派芸術を焼きものの世界で成していった尾形乾山をフォーカスする展示なんです。

 

やはり流石はサントリー美術館。尾形乾山の作品だけでなく、その生まれる下地となる前時代の流れから、乾山の後を継ぐ世代、そしてリーチや柳宗悦の民藝につながるところまで網羅された展示でした。

 

その素晴らしい世界を堪能して、やはり前の時代からジャンプするような乾山の独創性を感じましたね。利休のストイックな器、織部のひょうげた器、遠州の綺麗さびとも違う、この時代の息吹を。

 

おそらく織部という「型を逸脱する」ことを型とするような器の影響力から離脱するのはなかなか難しかったでしょう。悪く言えばそれは「なんでもあり」という側面をもつのですから。

 

でもやはり乾山には乾山の世界があった。私が思うに、それは「器と描かれたものの関係」の新しい捉え方だったのではないでしょうか。

 

例えばこんな器が展示されていました。菊の絵がいっぱいに描いてある器、その器の形はその花と葉の輪郭どおりに、グニャグニャとした不定形なのです。

 

また、狩野派の絵をそのまま四角い器にした初期の作品、竜田川に流れる紅葉そのままのギザギザの器。全てではありませんが、織部の器に描かれた素っ頓狂な絵柄を超えて、絵柄が器の形を決める、という転倒がそこにはありました。

 

「焼く前の器に絵付けをする」という、織部でさえ踏襲した地と図の関係を破壊して進む乾山の独創は、やはり素晴らしい。その眼が捉えた自然、そして会得した既存の焼きものの技術は、すべて乾山の世界に取り込まれ、銹絵の世界で鈍く輝くのです。

 

見ていない方にはさっぱりわからない文章で申し訳ありません。でも、このオリジナリティを生みだすことこそ美の世界で次の時代をつくること。それを衝撃とともに感じられた時間でした。

 

私は乾山のような独創性を持ち合わせません。でも何かしら「山口がつくったからこう出来た」というものを残していきたい。今日は、そんな熱いものをもらえた展示でもあったように思います。