時はずれ参り

2015.3.25|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

2015-03-25 08.28.49

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

今日は、午前中の志事の前に、お墓参りに行ってきました。今年はお彼岸の間にどうしても時間が取れず、昨日の彼岸明けにも間に合わなくて。今日ようやく行くことができたんです。

 

冒頭の写真がそのお墓のあるお寺。融通念仏宗の来迎寺さんです。彼岸明けも過ぎた平日の朝一番、さすがに誰もおらず、ひっそりと静かな空気が流れています。

 

このお彼岸、奥さんと子どもたちにお墓参りをまかせてしまっていました。ちょっと今回はそれで仕方ないかな、そう思っていました。でも先日、ある方にこう言われたんです。

 

「山口さんのうしろには、黒い着物をお召になった男の人が、ちょっと斜に立っておられます。すごく貴方のすることを後押しして下さっていますよ。」

 

それを聞いた時、おじいちゃんかな、と思いました。以前にもこのブログに書いたのですが、私はおじいちゃん子で、菊づくりの名人だったおじいちゃんの作業場で育ったんです。

 

私を護ってくれている方がおじいちゃんなのかは、私にはわかりません。でもそのお話を聞いた時、とにかく来迎寺へ行こう、そう思った次第。そして今日、山口家先祖代々の墓の前に立ちました。

 

その方に言われた色んなこと。私の生き方についてのこと。どうしたらいいか、どうすべきか。自分の想いは一体どこにあるのか。そんなことをおじいちゃんおばあちゃん、伯父さん、ご先祖の皆さま方にお聞きしていたんです。

 

霊感のない私には、もちろん返事は感じられません。でも、たまにこうやってお墓参りをし、その空気の中でもの思うのも、よいものですね。何だか妙に気持ちが落ち着いたのを感じました。

 

ご先祖さまからずっとつながって、おじいちゃんおばあちゃんから父母へ、そして私へとつながってきているもの。そして、血を受け継ぎ、生かされている自分。

 

そういうことを時折意識するために、お彼岸やお盆というものは存在しているのではないか。日々のことにまぎれてしまいがちな自分の「出自」を意識するために。

 

答えはありません。でも、己の生まれてきたルーツを想い、先祖との対話をすることで自分の血の中から湧き出る何かも、時にはあり得るもの。

 

時はずれとなってしまったお墓参りで、今日はそんなことを考えていたのです。その契機となった言葉に、感謝ですね。