木材取引のルーツ

2013.5.11|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

昨日、大阪木材会館で木材利用ポイントの説明会を受け終わり、帰ろうと歩き出した時のこと。長堀通を渡る「白髪橋」交差点の横断歩道の途中、通りの中央緑地帯に、石碑を見つけました。

 

なんだろこれ、と思って見ると、碑には「大阪木材市売市場発祥の地」と書かれています。おおかかもくざい、し、うり、いちばはっしょうのち?何と読むのか、最初わかりませんでした。

 

たぶん、「市売市場(いちうりいちば)」だろうな、と思いましたが、意味がよくわかりません。でも、冒頭の写真に写っているように、大阪木材会館がそのすぐ後ろにあることと、無関係ではなさそうです。

 

近くに説明文のあるプレートを見つけたので、読んでみました。

「元和末年(1622)の頃、土佐藩の申請によって材木市が立売堀川で始まり、 やがて土佐藩が蔵屋敷を白髪町にかまえると、西長堀川でも材木市が許可される事になった。

土佐ばかりでなく、 日向、 紀州、 阿波、 尾張など全国各地の材木が集まり、しだいに川の両岸には全国各地の材木を扱う店が軒を並べるようになり、 西長堀橋南詰から富田屋橋、 問屋橋、 白髪橋にかけての浜側は、 江戸時代から昭和にいたるまで、 年中材木市が開かれていた。

戦後, 長堀川は水質の汚染が進み舟運の利用も減少したため、昭和36年から同37年にかけて東横堀川から四ツ橋間が埋め立てられ、 また昭和四十二年から同四十六年にかけて四ツ橋から木津川間の西長堀川も埋め立てられた。今でも北堀江の東側には、 材木商の看板があちこちに残っている。」

 

なるほどなるほど。この長堀通の中央緑地となっている場所は、もともと長堀川でした。江戸時代、この川には全国から材木が集まってきていて、川の両岸は材木問屋街だったんですね。

 

「市売」も帰って調べてみました。木材の販売を委託された市売業者が、市場で「せり」によって販売する方式のことを市売と言い、 山元から需要者まで直送する方式を「付売」というのですね。

 

木材を扱う志事をずっとやっていますし、大阪が木材の大集積地であったということは知っていますが、それがこの辺り、西長堀川の辺りを中心にしていたというのは、よくわかっていませんでした。

 

大阪木材会館がこの地に今あるというのも、そういう由緒ある場所だから、だったんですね。何だか「木材の聖地」に来たような気がして、感心し、ちょっと嬉しくなったのです。

 

ちなみに、長堀川があった頃、この場所には「白髪橋」という橋が掛かっていました。それが交差点の名前として残っているのです。白髪橋の名は、土佐国にある山、白髪山から来ているそうで、そこで採れる良質の桧を使った、それは美しい橋だったといいます。

 

そんな「木材取引のルーツ」とも言える場所を訪れ、今はぐっと落ち込んでしまっている木材取引を活性化するための施策「木材利用ポイント」の話を聞く。そして石碑との出会い。

 

これも偶然ではないのでしょうね、きっと。木の神様のお導きでしょうか。