水の神社

2012.9.15|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

 

ご愛読、ありがとうございます。

 

昨日はお休みをいただき、「電波の届かないところで大自然に癒される」時間を満喫してきました。ブログの投稿は、新しいバージョンから可能になった「予約投稿」が役立ちました(笑)。

 

奈良の天川、洞川といったあたりを自由に散策し、渓谷の冷たい水に足をひたして、ボケーッと過ごしてきたんです。奈良の山奥はとても涼しく、川にいると寒いくらいです。夏の終わりのいい休日でした。

 

写真は、帰りに立ち寄った「丹生川上神社 下社」です。「日本最古の 水の神様」との看板に惹かれ、今日は川の水にとても癒しをいただいたから、と思って、手を合わせて行くことにしたんです。

 

入ってみて知りましたが、この神社の創建は、なんと白鳳4年(675年)だといいます。奈良時代に天武天皇が、雨乞いの神を祀るために創建なされたとか。とんでもなく古い、朝廷からも崇敬が篤かったと言われる、由緒あるお宮なんですね。

 

その古さに感心しながらお詣りをしていると、たまたま庭の掃除をしておられた宮司さんに声を掛けられました。誘われるままに、写真に写っている二重の鳥居の向こうにある拝殿に入れていただいたのですが、入ってみてびっくり。拝殿からずっとずっと高いところに御本殿があり、すごく急な階段が、そこへ続いているんです。その数は75段もあるとか。まさに、山肌に沿って建てられた社なんです。

 

建物自体は傷んできていて、正直とても立派とは言えない感じです。でも、その形のあり方、神がおわします場所の扱い、そこに非常に荘厳なものを感じて、しばらく黙ってしまいました。

 

宮司さんが神社のご紹介と合わせてして下さったお話も、とても興味深いものでした。今は「商売にご利益のある神社」とか「学業の神さま」とか言い、詣る人も具体的なお願いをするのが普通ですが、そんなことは江戸時代以降のことなのだそうですね。

 

それ以前には、そもそも名前のついた神社はほとんどなく、ただ神社がある、というだけで、人々もただ神さまにお祈りするだけ。それによって「穢れをはらう」ことをしていたのだそうです。

 

「穢れ」の意味も初めて知りました。「穢れ」とは「気枯れ」なのですね。気が枯れてしまった人は、元気もなく、他の人と心を通じ合う事もできない。神に詣ることで、その気をチャージする場が、神社なのだと。

 

なんだかとても心に響くお話に、いたく感動して帰ってきました。清らかな渓谷の水流と、そして水の神さまに、私もよい気をいただいたように思えた、よい休日でした!