神妙にひたる

2015.8.21|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

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〈深い渓谷をたゆたう中で、やはりここにも神々の息吹を感じます。〉

 

ご愛読ありがとうございます。KJWORKS 木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

神の里高千穂、夜神楽を楽しんだ次の日は、やはりここへ行かねばならないでしょう。山中の名所、自然美の絶景、高千穂峡です。

 

切り立った絶壁の下を流れる清流、その中に流れの緩やかなところがあります。そしてそこに、崖の上から滝が流れ落ちている。

 

そんな流れの中を、手漕ぎボートでゆったりと進むんです。冒頭の写真は、そのボートからの一枚。どうでしょうこの風情は。私も、こんなところは初めてです。

 

見上げる岸壁の表情、濃い緑の香り、光と陰の移ろい、漂う滝の飛沫。それらが相俟って、凄い「気」がこの場に満ち満ちているのを感じます。

 

ボートを漕ぐ手も自然に止まり、しばし茫然として、この景色の中で時間を忘れてしまいます。周りの人たちも見えなくなり、まるで自分が仙人かなにかになったような気分。

 

この同じ光景を目の当たりにして、古の人々はやはりそこに、神の手による造形の妙を感じたに違いありません。私も同じでした。

 

高千穂峡の後には、国見丘というところで、周囲を峰々に囲まれた高千穂盆地の全景を見渡していたのですが、そこでもやはり伝わってくるのは、神々しさ溢れる国造りの力。

 

大いなる大地の造形から、超越した存在をごく自然に腑に落ちて感じられる場所。それがこの高千穂であり、それが神々の里と言われる所以なのかもしれない。そんなことを思うのです。

 

高千穂という地を一言で表すなら、それは「神妙」でしょう。この言葉は「(いつも違って)おとなしくかしこまった様子」という意味で使われますが、本来は「人の知力では律せられない現象」という意味。まさに神の力です。

 

神妙としか言えない大自然の造形のなかで暮らす人々は、自然に神への畏敬の念をもち、かしこまる態度になる。それが神妙な態度という言葉の元なのではないでしょうか。

 

高千穂にはわずか一日の滞在でしたが、強くこの「神妙」ということが伝わりました。私にとってとても価値ある時間だったと想います。