野にあるように

2015.5.21|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

2015-05-20 10.06.57

〈木の家のそばで、素敵な笑顔のほとけさまです〉

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家のくらしプロデューサー、山口です。

 

先日「気の森の家」と題してこのブログに書いた住まい手さんのお宅へ、また行ってまいりました。ある増築工事のお話があって、そのご提案のための現状調査に。

 

この土地によい「気」が満ちているのか、植物の育ち方が普通でないほどに旺盛だ、ということを先日は書いたのでした。そしてこの敷地内には、きっとそれと関連のあるモノたちが、あちこちに飾られているのです。

 

冒頭の写真もそのひとつ。お二人の、焼きものの仏さまのようですね。不思議なことですが、前回行った時にはほとんど気に留めず、あることすら覚えていなかったのに、今回はぐっと目に飛び込んできました。

 

手前には石がいくつも置いてあります。パワーストーンというものでしょうか。仏さまの台座も石で出来ていて、そこにも植物がまとわりつき、仏さまご自身にまで。

 

私もあまり見たことのないお姿ですが、でも、何やら本当に安らかなお顔です。緑という生命とともにあって、とても落ち着いておられるような、そんな雰囲気に満ちていますね。

 

仏堂の中でなく、野山や路傍におられる仏さまと言えば、やはり「お地蔵さま」、地蔵菩薩でしょう。庶民信仰の表れとして、村の入口や峠、四ツ辻、墓地の入口などで、民の姿を見守っておられる。

 

しかし昨今は、お地蔵さまも小さな祠の中におられることが多い。このように、本当に自然の中にあって、緑とともに呼吸をされているような仏さまは、お地蔵さまにも少なくなっているのかも。

 

では、何故このお二人の仏さまのお姿は、こんなにも安寧に満ちているのでしょうか。それはたぶん、日本人がもつ素朴なアミニズム(自然信仰)に通じるものがあるから?そんな風に感じました。

 

私は仏教に詳しいものではありませんし、神道と仏教の関係についてもあまりわかっていません。でも、八百万の神々と言うように、その普遍性は日本人の心に深く根付いているのではないでしょうか。

 

神像と仏像という違いはあっても、このような尊い存在が、母なる大自然の中に遍在しているという見え方が、私たちの心に安らぎを与えてくれる。そう感じます。

 

野にあるように、敷地内の緑の中でゆったりと微笑んでおられる仏さま。周囲の草ぐさ、樹々の緑がもつ「気」と、それは無関係とは思えません。きっとつながっているはず。

 

このお宅で、また新しい空間づくりがスタートしていきます。そしてこの仏さまへも、これから幾度もご挨拶することになりそうです。