風土の意匠

2013.3.12|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

『風土の意匠 -次代に伝える民家のかたち-』 浅野平八著 学芸出版社

 

ご愛読、ありがとうございます。KJWORKS・木の家の設計士、山口です。

 

この本、「木の家づくり図書館」に私が寄贈したものでした。昨日改めて眺めてみて、やっぱりとても面白いので、ちょっと取り上げてみましょう。

 

この本のサブタイトル「次代に伝える民家のかたち」とあります。今でも一般民衆が住む家のことを民家と言いますが、ここで言うのはいわゆる新建材に席巻されてしまった今の住宅ではなく、少なくとも戦前まで、家が木と紙と土とで出来ていた時代のもののことですね。

 

その頃の民家には、日本国中、その地域によって独自の姿があります。それは主にその地の気候風土によって、それに見合った形が採用されてきた、というのが、タイトル「風土の意匠」の意味するところだと思います。

 

土佐の民家に見られる「連続する水切り瓦」や、富山や岩手の散居村に見られる「屋敷林」などはその最たるものかと思いますが、でも民家の形は、それだけで決まるものではありません。

 

他にも例えば、京都府の伊根町にある「舟屋づくり」などは、家の1階が湾に面した船のガレージになっています。これは気候というよりも、その地の「暮らし」のあり方がそのまま家の形になっている、というものですね。

 

さらに、「お上によって定められたルール」が民家の形を決定することもあります。京都市内にあるいわゆる「鰻の寝床」と呼ばれる細長い町家などは、建物の間口の寸法によって税が定められる、というルールが、最大限に間口を狭くした、このような家の形を生んだのですね。

 

ちなみに、私がとても見たいと常々思っている民家の形は、佐賀県にある「漏斗(じょうご)づくり」や「竃(くど)づくり」と呼ばれるものです。家の平面形が、上から見るとカタカナの「ロ」や「コ」の字の形になっているんですよ。

 

この地では藩政時代、「民家の大きさは梁間二間」と定められていたのだそうです。梁間二間とは、昔の寸法である「本間(ほんけん)」で言うと4m弱です。これが、お上からのルールだったわけですね。

 

二間というルールは逸脱できない、でもそんな短い寸法の細長い家は使いにくい。そういうわけで、梁間ニ間の空間が途中で折れ曲がり、竃のような「コ」の形になったり、あるいはくっついてしまって「ロ」の字になったりする、というわけなのです。

 

「コ」の字の平面に架けられる屋根は、手前から見ると小さなトンガリが二つ並ぶ形になります。「ロ」の時の平面に架けられる屋根は、ほら、中心部分がピラミッドを逆さまにした形になります。これが「漏斗(じょうご)」です。

 

昔は、梁間二間でどんどん増築を重ねた結果、家の平面形が「F」の形になっている家が普通だったと言いますから、その屋根の形はとても面白かったでしょうね。そんな家々による街並みは、どんな風景だったのでしょう。

 

本書は、そのような様々な要因でその地に生まれた民家の姿を追っています。自分が家の姿を考える時、なぜそのような形にするのかを当然考えますが、このような歴史上の事例は、私にその事例を見せてくれているようですね。

 

最近、軒も庇もない変な片流れ屋根の家をよく見ます。あれは「シャープでスッキリ」などとお客さまに提案されているのだろうと想像しますが、風土も、暮らしも全く無視した、単にコストだけ、原価を安くおさめるためだけ、という形にしか、私には見えません。

 

そんな家をつくっている輩には、「昔の家を見習いたまへ!」と声を大にして言いたいですね。そこから学ぶことは、日本で家をつくっている以上、当然のことなのですから。