無作為の思想

2017.9.29|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 KJWORKS

 

〈時々開催されるたび気になって出かける展示に、また今日も教えられてきました。〉

 

 

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

 

 

今日は志事を早めにしまって、難波へと向かいました。大阪髙島屋で開催中の「民藝の日本」展、そして民芸品展示即売の会場を見に。金曜日は夜8時半までやっているらしく、それなら志事後でもゆっくり見られるだろう、てな算段です。

 

 

 

柳宗悦による「民藝」運動を改めて説明すると長くなりますが、私も好きな柳の著作名がそれを直截に表現しています。それは「手仕事の日本」。作家による作品でない、地域に根ざしてつくられてきた日用品に「用の美」を観ること。

 

 

 

今回の展示もそんな、昔から日本人が手づくりし、長い歴史の中で洗練されてきた日本各地の民具や工芸品が展示されており、その素朴な美しさが眼を楽しませてくれました。また、今回は「日本民藝地図」という芹沢銈介による大作が。

 

 

 

 

 

このように、全国各地の民藝産出品を記した大きな地図です。昔の「諸国」と都道府県がひと目で分かり、その中に地域の産出品がカテゴリーごとのシンボルで記載されています。20年以上に及ぶ民藝発掘行脚の集大成といえる作ですね。

 

 

 

「民藝」と聞くとどうしても気になって、私は都度こういう展示に足を運んでしまいます。しかし、例えば柳と共に民藝運動を推進した河井寛次郎や濱田庄司、あるいはバーナード・リーチのつくるものが好きかというと、そうでもない。

 

 

 

また各地に伝わる民芸品の数々にも、食指が動くものとそうでないものがあります。民藝と称される品々はどちらかと言えば実用本位のため、その姿形はボテッと逞しいものが多いし、私が自分で所有したいものは少数派かもしれません。

 

 

 

それでもやっぱり、民藝と聞けばそわそわする。それは私が「民藝」をもののつくられ方、あるいは観方として理解しているからではないか、そう思うんです。つくられるものが好みであるかどうかではなく、その思想への共感ですね。

 

 

 

というのは、バブルの頃ほどではないにしても、まだまだものづくりに「作為」が多いモノもあるのではないか、と思う気持ちと無関係ではないでしょう。作為とは例えば、「目立つ」を目的とした奇を衒うようなデザインであったり。

 

 

 

もちろん民藝の品々にもデザインがあり、ただシンプルなだけではありません。しかしそこに「奇を衒う」思想は微塵もない。ただ人の欲求として製作物に「美」を宿したいと想ってつくられ、そしてその先には「暮らしの豊かさ」がある。

 

 

 

自分も「ものづくり」人の一人として、常に妙な作為を紛れ込ませずモノと向き合いたいと思います。しかしデザインの欲望というのもまた、消し去り難い部分があったりする。そういう時、民藝の教えをもう一度感じ直したくなるんです。

 

 

 

今日の展示もその意味でとても良かったし、大労作たる先の地図からも、また会場に流れていた柳宗悦と民藝運動の映像からも強く感銘を受けました。私にとって時々「我に返る」べきところ、それが民藝という思想なのかもしれませんね。

 

 

 

最後に、今日紹介されていた柳宗悦の言葉を。

「よき美には自然への忠実な従順がある。自然に従ふものは自然の愛を受ける。小さな自我を棄てる時、自然の大我に活きるのである。」