旧大阪府庁舎

2011.8.27|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

旧大阪府庁舎

 

ご愛読、ありがとうございます。

 

今日は、大阪の歴史の証人とも言える建物の遺構が発見されたというお話です。

 

ご覧の建物跡は、大阪市西区江之子島(えのこじま)でこの7月に発掘されたもの。これは、明治7年に建設された旧大阪府庁舎の遺構なんです。

 

この旧庁舎は、南棟、中央棟、北棟の3つからなっています。近代的な府県庁舎建築の先頭を切った先進的なものだったようで、明治から大正にかけて「西の政府」とまで呼ばれたほどに、その威容を誇っていたそうです。その姿は、急速に近代化が進められていた当時の大阪の象徴とも言えるものでした。

 

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これがその往時の姿。大阪港に流れこむ木津川のほとりに、まさに悠然と建っていますね。とても立派な様式建築です。

 

その旧庁舎の建物、大正15年に今の大阪市中央区に庁舎が移転し、その役目を終えます。その後は工業奨励館として活用されていたようですが、惜しくも昭和20年の大阪大空襲で全焼し、その後に解体されてしまいました。

 

その後も旧庁舎のあった場所は府有地として管理されていたのですが、その土地の民間売却が決まったため、それに先立って調査が実施されたというわけです。

 

そして発掘がおこなわれ、冒頭の写真のような建物跡が出てきました。中央棟と南北両棟の地下のレンガ壁や、花崗岩を組んでつくられた、直径6メートルもある中央棟の円形ドームの基礎の部分、そして、レンガ積みの暖炉などが、当時の状態で残っていたんですね。

 

建築史家の話によると、レンガを大量生産することが難しかった時代にこれほどまでにふんだんに使われているのは、まさに当時の最先端技術を駆使した証しであり、明治という新しい時代の到来を示す最高の権威として造られたものだろう、ということです。

 

元々は、調査後には速やかに売却し、マンションが建設される予定だったそうですが、これほどまでに立派な遺構が発見され、研究者や市民から保存を求める声が殺到したとか。

 

その結果、全てを保存することは叶わなかったものの、円形ドームの基礎部分と暖炉、石の階段などを現地から取り外して保存することを、このたび府が決定しました。今後は「多くの人に見てもらえるよう保存場所などを検討したい(府財産活用課)」ということです。なるほど、少しほっとしましたね。

 

実は私は、大学の建築学科に在籍している時、建築史研究室だったんです。そのため、取り壊される予定の古い建物の実測などによく行ったものでした。そしてその実測結果を、図面化するんです。その頃から古いものが好きでしたから、それはなかなか楽しい作業でした。図面にしているうちに、その建物を支配している寸法のルールがわかってきたりして。

 

今回も、本来ならば遺構の全てを保存してほしいところではあります。しかし府の財政や跡地開発の予定などもあってそれが叶わないのであれば、一部を移設することでも意義はあるし、やむを得ない部分もあるでしょう。

 

しかし、それと並行して、少しでも調査の時間を確保し、実測と図面化、今できる詳細な調査はしっかりとやってほしい。旧庁舎の元々の図面は一切ないそうですから、その一部でも実測図として残すことが、今できるベストの選択だと思います。

 

その部分は橋下知事にもう少し踏ん張っていただきたい、そう心から願うものであります。