地震の間

2011.10.26|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

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ご愛読、ありがとうございます。

 

写真は東京大学の「赤門」ですね。先日初めてこの東大本郷キャンパスへ行く機会があったのですが、この本郷キャンパスの場所には、昔は加賀藩江戸上屋敷があったそうで、この門もその上屋敷の門だったのですね。

 

その加賀藩江戸上屋敷に、「地震の間」と呼ばれる特別な部屋が設けられていた、というニュースを見ました。加賀八家と呼ばれる名家、横山家に伝わる絵図に、その存在が描かれていたそうです。

 

地震の間とは、その名の通り、地震への備えを施した部屋のことです。私、恥ずかしながらそういうものの存在すら全く知りませんでした。しかし、京都御所や彦根城にもあるもので、かつて存在した江戸城にはそのような部屋がいくつもあったのだとか。いや、びっくりです。

 

どの場合も、天皇や将軍が日常生活を過ごす御殿の近くにあって、地震の際に逃げ込むためのものだったようです。御殿が倒れても影響がないよう、少し距離を離して建てたといいます。火災の場合の消火も考慮して、池などの水辺に設けることが多かったようですね。

 

地震に備えた建物の構造はそれぞれの場合で異なっています。江戸城の場合は四隅に柱を3本ずつ立てて強度を増す「耐震構造」、彦根城の場合は木製 のてこで建物を支える「免震構造」なのだそうです。京都御所の場合は、軽く倒れにくくするため茅葺きとし、さらに掘っ立て柱を地中で連結していました。これで直下型地震の突き上げにも耐えることが可能であったと。

 

今回その存在が確認された加賀藩江戸上屋敷の地震の間も、その大きさや構造、そして庭園の中という立地から、京都御所と同じ構造だったと見られているようです。普段は茶室としても使われていたと思われます。

 

いや、この地震の間、実に面白いですね。江戸に暮らす人々も耐震の備えをしていたこと、そして今でいう耐震構造や免震構造など、さまざまな方式を編み出していたこと。素晴らしい創意工夫だと思いますし、とても興味深いです。

 

江戸時代の木造建築は、現代に比べて、暑さ寒さにはあまり対応しているとは言えません。そのような時代でもこのような地震対策が施されているということは、江戸の街にはそれだけ地震が多かった、ということなのだと思います。

 

それにくらべて、加賀藩の地元である金沢は、今でも有感地震が少ないところです。加賀藩江戸上屋敷に詰めることになった加賀藩士達は、江戸の地震の多さにさぞや驚いたのでしょう。そしてすぐさま屋敷に「地震の間」を設けた、ということなのでしょうね。

 

地震に慣れていない丁髷の侍が、江戸で地面の揺れに驚き慌てている姿、そして「殿を守らねば!」とばかりに耐震構造の建物の普請を大至急すすめた姿が何だか時代劇ばりに浮かんできて、この記事を読みつつ私は一人、頬を緩めてしまったのでした。