大大阪の時代

2011.11.2|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

大大阪

 

ご愛読、ありがとうございます。

 

いま大阪市は、市長選、そして続く知事選が話題になっていますね。橋下さんは「大阪都」構想をずっと提唱しておられます。

 

私はこの「大阪都」のことを聞くと、大阪が「大大阪」と呼ばれていたという時代のことを、想起してしまいます。もちろんそれは、10年20年の昔ではありません。大正末期から昭和初期の頃の話です。

 

実は私、大学の建築学科では建築史研究室でして、この頃の大大阪の近代建築のことを研究、調査し、卒業論文にまとめました。ですから、何となくこの大阪がキラキラ輝いていた時代のことをおぼろげにイメージできる気がします。

 

この「大大阪」の時代をつくった立役者、と言える人物がいます。それは大阪市の第7代市長、関一(せき はじめ)です。関一は大正12年に市長に就任し、大阪の街を一気につくりかえた人物なんです。

 

関は元々大学教授でした。東京高商(現一橋大学)の教授から助役として迎えられ、その後市長になりました。そして、元々専門だった都市計画の実践を、この大阪で展開したわけですね。

 

大阪市の背骨、御堂筋線をつくり、その下に地下鉄を通しました。元々6メートルもなかった道幅を、一気に44メートル近くにするという御堂筋拡張案には皆が仰天し、「飛行場でもつくる気か」という反応だったそうですね。写真は、昔の御堂筋です。

 

他にも、大阪港を近代化して貿易の強化を図ったり、公営住宅や公設市場を整備したりしました。大阪城天守閣を復興したのも、私が学んだ大阪市立大学(当時は大阪商科大学)をつくったのも関一です。

 

そして関の邁進に伴って大阪は発展し、大正14(1925)年の市域拡張時には人口200万人を超えます。そして面積、人口ともに、東京市を抜いて日本一の大都市になりました。これは実はもの凄いことで、明治維新以来、首都よりも大きな都市が存在したことは後にも先にも、この「大大阪」だけなのです。

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※これは「大大阪」の時代を見てきた先代の市庁舎です。

 

このように大大阪という「未来都市」づくりに奮闘した関一、そのキャッチフレーズは「住みごこちよき都市」だったそうです。その理想を実現するための、本当に強い信念と実行力をもった人物だったんですね。

 

当時、市長というのは官選で、民衆が選挙で選ぶものではありませんでした。しかし、名市長関一は市民に尊敬され、慕われて、関が病に倒れた時には平癒を祈願する人々が生国魂神社におしよせたと言います。

 

そして今、大阪に求められているのは何か。東北の大地震から学ぶべきものは何か。私が思うに、大阪は水害への対策がまだまだ出来ていないですね。これだけの地下街網をもっているのだから、昨今の集中豪雨や、地震による被害などを想定した防災対策の強化がもっと必要なのでは、と感じてしまいます。

 

水都・大阪であることを維持しながら、さらに強い防災都市へと生まれ変わった時、それが新しい「大大阪」なのではないでしょうか。

 

市長選の行方がどうなるのか、私にはわかりません。しかし、今こそまた、「理想を掲げ、信念をもち、邁進できるリーダー」が必要とされているのでしょうね。「住みごこちよき都市」のために。