汽車土瓶

2011.12.2|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

汽車土瓶

 

ご愛読、ありがとうございます。

 

電車での旅の時、駅弁はその大きな楽しみですよね。

 

駅弁を食べる時に飲むお茶は、今ではペットボトルがほとんどになってしまいましたが、昭和30年代くらいまでは、陶器の土瓶、茶瓶に入れたお茶が売られていました。これを「汽車土瓶」というのですね。

 

この汽車土瓶が、大阪は吹田市、摂津市にある旧国鉄操車場跡地で、大量に見つかったそうです。写真がその汽車土瓶たち。その数は全部でなんと数万点だとか。昭和初期、1928~33年の製品だそうです。

 

「浜松駅」「松浦」などの駅名、地名が書かれていたり、「お茶は静岡」というコピーがあったり。どれも個性があり、楽しいですね。

 

同操車場ではその頃、大阪駅で終点となる客車の清掃作業がおこなわれていたようです。汽車土瓶たちは付属の湯呑みや蓋とともに、跡地内にある石炭を捨てるための穴で見つかったといいますから、清掃作業の際に不要な土瓶たちを石炭と一緒に捨てていた、ということなのでしょう。

 

私は昭和42年の生まれですので、この汽車土瓶というものを知りません。プラスチックの容器で、蓋がそのままコップになるものが私の記憶する、「子供の頃の駅弁のお茶」なんですが、実はそれは、この汽車土瓶を模してつくられた樹脂製品だったのですね。それを今回初めて知りました。

 

今回発見された土瓶には、。「五銭」「七銭」といった販売価格が書いてあったり、ものによっては「空壜はこしかけの下江お置を願います」という文言があったりしたそうです。これは、飲み終わったお茶の土瓶を車窓から投げ捨てないで、という注意書きなんですね。

 

そして汽車土瓶で供されるお茶には、長旅の場合は途中で中身のお茶だけを追加購入し、注いでもらうということが出来たのだそうです。なるほど、そういう給茶の仕組みが出来上がっていたわけですか。今の私たちからすると意外な感じですが、とても興味深いですね。面白いです。

 

考えてみれば、昔の汽車の旅は今よりずっと長い道中だったのですから、その中で食事をすることはとても多かったはず。だからそのような給茶の仕組みも出来たし、駅弁そのものが今よりもずっと「あたり前」のものだったのだなあ、そう思いました。そのお供となった汽車土瓶の姿を見ていると、その頃の旅行の光景が浮かんでくるようです。

 

いまのように超特急で高速移動するのとはまた違った「旅」の姿。それを象徴するような土瓶のやさしい姿に、ちょっと日常を忘れて汽車に揺られてみたくなったのは、おそらく私だけではないでしょう。

 

そんな旅、憧れます!