壁と窓

2011.12.12|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

壁と窓

 

ご愛読、ありがとうございます。

 

現在、「平成の大修理」がおこなわれている、国宝・姫路城。その大天守の最上階に「耐震補強」が施されていた、ということが判明したそうですね。

 

挿絵のように、現在は桁側面(長方形の長い方の面)に5つ、妻面(同短い方の面)に3つの窓があるのですが、築城の当初はその両側にあと2つずつ窓があった、というのです。

 

今回の大修理にあたって、天守部分も白壁の塗り直しをおこなうため、四隅の柱周辺の漆喰や壁土をはがしたところ、壁であるはずの場所に、合計8つの窓枠が現れたのだそうです。その大きさは縦1.5メートル、横1.6メートル。他の窓と同じサイズです。ということは、築城当初はもっと多くの窓が同じように並んでいた、ということですね。

 

調査の結果、この窓は「使われた形跡がない」ということがわかりました。どうも、築城の最中に急遽「設計変更」されて、板を張って塞ぎ、くさびで固めた上に、漆喰で埋めてしまったらしい、というのです。

 

おそらく、変更がされるまでの窓の数であれば、今よりももっと眺望が開け、360度の大パノラマになっていたと思われます。でも、それを取り止めて、壁にしたわけですね。

 

これは、冒頭に書いたとおり、おそらく「耐震補強」であったのだろう、と言われています。

 

地震などで大きく揺れた時、建物の四隅には、とりわけ大きな力がかかります。それに耐えて踏ん張るために、四隅には壁があった方がいいわけですね。建物がねじれるのを防ぐ意味でも、その効果は大きいのです。

 

築城当時の美しい姿を残すことから、国宝に指定されている姫路城。その築城は西暦1601年(慶長6年)から始まって、9年の歳月を要したといいます。

 

実はこの頃、日本各地で地震が頻発していたのだそうです。築上最中の1605年には、マグニチュード7.9という地震があった、と推測されているとか。「慶長大地震」というそうです。そのこととこの「設計変更」とは、無関係ではないでしょう。

 

国のシンボルとも言える城。その築城中に、とんでもない大地震があった。姫路も揺れたのでしょうね。おそらく、「これはいかん!」となったのでしょう。損壊を未然に防ぐ意味で、窓を減らし、眺望を犠牲にしてでも、壁を増やすことによる耐震補強を実施したわけですね。

 

姫路市による耐震面の調査によると、やはり四隅も窓のままであったとしたら、震度6強の地震の際には強度が不足し、柱が折れるなどの被害が予測されるそうです。

 

現代の技術であれば、窓を復元し、眺望を確保しながら耐震補強することは、おそらく可能でしょう。復元したなら、360度の眺望が期待できます。しかし、市はそれをせず、大修理前の状態に戻す計画だそうです。

 

私もそれがいいと思います。築城途中で変更になったとは言え、姫路城は今までずっとその姿で建ってきたし、その壁と窓の比率があってこその「白鷺城」、もう我々の目がそうなっていますよね。

 

ここで観光的な欲を出して、眺望が広がるような選択をしてしまったら、それは築城時に敢えて工事を変更した技術者たちの、国を思う心を蔑ろにする行為である。そうならなくてよかった。

 

耐震補強のこと以上に、私はそんな風にこの記事を読んで感じたのでありました。