木地師という匠

2012.4.4|カテゴリー「日々の思い」|投稿者 山口敏広

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ご愛読、ありがとうございます。

 

私たちKJWORKSの家づくりは常に「暮らし」を見据えたものでありたいと考えています。家はただの箱であるだけでは駄目で、「暮らしの舞台」でなければ、意味がないですから。

 

そして、暮らしの中で大きな位置を占める「食」と、それに関わる道具である「うつわ」も、「くらしの杜」にはたくさん展示・販売しています。家だけでなく暮らしの全体を、提案したいからですね。

 

陶器やガラス器も色々ありますが、今回新しくお目見えしたのが、南木曽地方で先祖代々、木地師(きじし)としてその技を受け継いでこられた、ヤマト小椋商店さんの「木のうつわ、漆のうつわ」です。 今日はそのことを。

 

木地師とは、轆轤(ろくろ)と呼ばれる特殊工具を使って、お椀やお盆のような円形のうつわの形を削り出してつくる技能職人のことです。その歴史は、今から実に千百年以上も前に遡るといいます。凄いですね。

 

轆轤による木地製作の技法が開発されたのは、西暦860年ごろだそうで、惟喬親王(844~897)がその家臣であった小椋大臣実秀と大蔵大臣惟仲に、開発したこの技法を伝え、製作にあたらせたのが木地師の始まりといわれています。そしてその後、木地師の世界では「小椋」と「大蔵」という姓が代々伝えられているのだといいます。

 

当時の木地師は、宮廷の奉仕に服したことで、その後長く諸国を自由に往来する特権を与えられたそうです。そして長い間、山から山へと渡っていきながら、材料を得、うつわをつくっていたんですね。

 

しかし、明治になって廃藩置県がおこなわれ、同時に山林の所有権が確定するという木地師にとっての一大事件が起こりました。また一方で、交通網が整備されたことで、材料の入手がしやすくなりました。こうして、木地師の山渡りはその歴史を終えました。

 

しかし今でも、小椋、大蔵の姓を名乗る木地師の末裔は、先祖代々の技術をつかって、木のうつわをつくっています。伝統ある轆轤挽きの集落である信州漆畑に、ヤマト小椋商店はあるのです。

 

その、木の持ち味を活かして美しく繰り抜かれた木地、それをつかったうつわは、何とも言えず手に馴染み、森の恵みとしての木の素晴らしさを改めて教えてくれます。

 

白木のうつわはとても優しい気持ちにさせてくれますし、漆塗りのうつわはまたその表情がとても素晴らしく、見ていて、触っていて、飽きるということがありません。

 

またひとつ、素敵な「うつわ」がくらしの杜に仲間入りしました。木地師という匠の技を、木の家での心地よい暮らしのご提案に活かすことができるのは、とても幸せなことだと感じますね。